世界樹に迷宮。


 都合上、パーティの容貌などの描写は省いております。都合っちゅーのは、人物を職業名で指すのも違和感があるけど、でもまあ、いきなりウチのパーティの名前で呼ばれても困るだろうて辺り。
 取り敢えずこんなパーティ。

 パラディンのココノエ。 ソードマンのらとれい。 レンジャーのアクルフィア アルケミストのキマ バードのあるは。






 深緑に彩られた、自然の造形により深く入り組んだ迷宮。そのただ中に点在する金色の扉はこの迷宮そのものを象徴しているように思えた。
 天然にはあり得ないその人工物は、この迷宮が明らかなる恣意の施された存在であると冒険者に知らしめる。扉に触れた者の多くは、その恣意に向けて問い掛けるだろう。「何故?」と。
 これほどの迷宮を造りあげたその理由は? 創造主は誰か? どれほどの力がそれを可能にしたのか? そして、その最深層にはいったい何が?
 扉は重く座して答えない。むしろ返答を拒んでいるかのようにさえ思える。そして問い掛けを発した冒険者は、問いを重ねる代わりに扉を押し開き自らその答えへと近付いて行く。
 しかし今、それに触れる冒険者達にはまた別の意味を伴わせていた。
 執政院より討伐を依頼された、獣の王の名を持つ魔物。それがこの扉の奥に潜んでいる。いわば彼らにとってこの扉は、死地に至る最後の境界線であった。
 狩人の出で立ちをした娘が、三つ指の極端にすり減ったグローブで確かめるように扉に触れる。そして、静かな深呼吸の後に背後の友人達へ告げた。


「明日にしない?」


 友人の殆どは肩をこけさせた。が、そのうち一人。厚い鎧に身を固めた金髪碧眼の女が極めて真面目な顔で応える。
「構いませんけど、準備も余力も万端です。今ここで明日に回しても、状況に変わりはないように思えますが」
 それを受けて、レンジャーの娘。唇をへの字に曲げつつ。
「……冗談だと思ってくれた方が幾らかマシだったわ」
 そう呟いて、「やれやれ」と云う消極的な気合いを一つ。もはや誰に対する断りもなしに扉を押し開け、前衛であるパラディン、ソードマンがそれぞれ構えつつ順に部屋へと飛び込んで行く。それに続くアルケミストが付け足すように云った。
「ほら。相手さんもお待ちかねだったみたいだよ」
 頭上にある、十に近い階層を忘れさせる遙かな吹き抜けの大広間。そのほぼ中心に蹲るように身をたわめた巨躯――面々が確認できたのはそこまでだったろう。その魔物は人外の雄叫びと共に猛烈な突進を繰り出してきた。
 即座に散会してこれを交わす。相手は人智を凌駕した力を持つ魔物である。故に、それに対する人間は力を束ねて向かわねばならない。しかし散り散りになってはそれも叶わない。レンジャーのした舌打ちはそうした懸念を込めてだったろう。パーティの誰よりもその魔物から距離を取り、そして誰よりも早く身を翻し弓をつがえた彼女は一息の間に矢を放つ――こちらに背を向けた魔物は、身の丈が成人男性の三倍を優に超える巨体に、腰まで届く蓬髪をしている。それだけならば人の姿をした巨人だが、突き出た雄牛のような角がそれを否定する。至る所に走る傷、そして街での風評。余程「場慣れ」しているであろうこの魔物が、5人の敵を相手にして死角を取らせてくれるとは思えない。つまり、常に壁を背にして戦うであろうその背後には、彼らの入って来たただ一つの扉がある――ここまでが、矢が魔物に届くまでの刹那に彼女がした思考だった。そしてその矢を魔物が振り向きざまに打ち払い、向けられた獅子を思わせるその顔を見留つつ仲間に向かい叫ぶ。
「逃げられると思わないで! 倒して帰るわよ!」
 応じるように、彼女の反対側からソードマンが切り込む。頭と同じ高さにある魔物の膝へ先ず一閃、そのまま踏み込み腹部にも鮮血の筋を走らせる。激痛か憤怒か、叫びをあげつつ落雷の如く振り下ろされる拳を大きな動きで避けた所に、場違いに明るい声が響く。
「あとにびょーう!」
 それを合図にしてか、ソードマンは攻勢を即座に抑え、牽制を怠らず魔物から跳び退く。
「せぇーの!」
 残り1秒。魔物のほぼ正面に位置したアルケミストが、彼らのシンボルである籠手に包まれた拳を強く握りこむ。その指の隙間から炎が漏れ、即座に万歳を叫ぶかのように敵へと突き出す。
「ごっ覧じろぉ!」
 0秒。
 瞬間、白く眩い輝きが魔物の巨体を呑み込んで揺らめく。遅れて起きる爆ぜ音と共に鼻を強く突く異臭と、赤く変じた炎がパーティを照らす。計算通りの結果に喝采を挙げかけたアルケミストのその賢しい目は、しかし異常を即座に見分ける。炎の中心にある魔物の影が、揺らぐことなく立ち尽くしている。
「あ。や――」
 ――やばい。その言葉は、そう言い終わる前に途切れた。未だ炎の消えぬまま振るわれた豪腕に叩きのめされたからだ。
 その腕は横薙ぎに振るわれた。咄嗟にしゃがんで避けようとしたのだろう、側頭部を打たれ半回転し、地面に頭を打ち付けた。それだけでは勢いは収まらずそのまま暫く転がって行き、丁度尻餅をついた格好で止まる。
 そこにバードの少女が駆け寄る。流れ始めた血が目に入る前に包帯で押さえつけ、回復薬を塗りつけガーゼをあてがい、その上に更に包帯を巻き付けた。
 乱暴な上につたない処置だが、迅速だ。迷宮から得た木の実で出来たその回復薬は驚異的な早さで傷を塞ぐ。それ故に処置の腕はもはや関係なく、とにかく早急さが求められる。その点では十分に及第点だ。
 寸隙と呼んでも差し支えの無いその間を、しかし魔物は逃さず追撃を試みる――が、割って入ったパラディンが叩き降ろされた拳を盾で受け止めて見せた。
 並外れた質量と硬度とがぶつかり合う重く耳障りな音が周囲の空気を振るわせる。更に横様に振るわれた拳を一歩も動かず受け止め、背中越しに問う。
「大丈夫ですか?」
 そこにレンジャーの矢とソードマンの剣とで牽制が入り、それら攻撃を振り払いつつ魔物は跳び退る。
 アルケミスト、濡れ犬がするように強く首を振りながら(頭部への打撲はあまり揺らさない方が良い筈だが)立ち上がり、安否を答える代わりに云う。
「火、あんまし効かないみたい」
 アルケミストの術式は文字通り、彼らにとって最大の火力だ。それの効果が望めないとなると――パラディンは頷き、盾を握り直し応じる。
「ならば、持久戦の構えで」
 言い終わるが早いか、アルケミストを背後に直線的な動きで魔物へと突進する。その速度を乗せ、裂帛の気合いと共に剣を突き出した。
 鍔元まで突き刺さった感触が腕に伝わってくるが、その感触は異様であった。それを正確に意識するよりも先に、走った予感が半ば反射的に彼女を跳び退かせていた。
 その感触に敢えて近い物を云うなら、キャベツをざっくり切ったような……。
 地に足を付ける前後、素早く剣に目を走らせればそこにはキャベツが、否、草を丸めたような動物が突き刺さっていた。払い落とそうと剣を降ればあっさりと断ち切れ地に落ちる。
 ――この動物、何処から? 
 その答えは、魔物の足下周囲にあった。ともすれば足を取られそうな程に生い茂った蔦状の植物が蛇のようにのたくり絡まり合い、赤子ほどの大きさの球となり、自ら鞠のように飛び跳ね始める。
 それに構わず、バードが大弓を抱えるようにして持ち上げ、その引き金を引くと機会仕掛けでもって強烈な矢が飛びだした。が、草団子の様なその魔物が弾道に跳びはね割って入り自ら突き刺さり、親玉を守る。
「うー!」
 呻くバードを尻目に、ソードマンがつむじ風のように走り込む。その進路を塞ぐ草団子を一刀の元に容易く両断し瞬く間に魔物へと詰めより、腕へ向けてその勢いを緩めず鋭く薙ぎ払う。
 が、その剣は深く食い込みはしたが、裂傷を与えぬまま弾かれる。異常を察知したソードマンへ、そのまま振るわれた腕が強烈な裏拳を食らわせる。為す術もなく押し飛ばされるが、防御が間に合ったようだ。直ぐに体勢を持ち直して跳躍し、アルケミストへ向かい弾丸のように跳んできた草団子を切り捨て、ついでぼそりと呟く。
「さっきよりも硬くなってる」
「それってもしかして――」
 その言葉を肯定する訳でも無いだろうが、飛び跳ねる草団子が蛍のような淡い光を放つ。――すると、彼らの守護する獣王の傷が目に見えて癒えて行く。
「――持久戦も相手のが得意ってことかな」
 恐怖を書き表した抽象画のただ中に、クレヨンで描かれたチューリップがあるような。状況の深刻さの割にどこか気軽な調子のその応えに、背後から返答が帰ってきた。
「違うわよ!」
 しかも強烈なつっこみまで入る。ただし、ソードマンの方に。駆け寄ってきたレンジャーがその勢いを全く殺さずソードマンの背中に跳び蹴りを放ち――そのまま踏み台にして高く高く跳躍する。その軌道が頂点に達するまでの刹那、電光の走りそうな迅速さで矢を取り、つがえ、引き絞り、狙いを定め、そして落下を始める無重力の瞬間にそれを放った。
 高い角度から放たれたその矢は飛び跳ねる魔物の頭上を越え、獣王の、その巨躯を支える分厚い足の甲に矢羽近くまで深々と突き刺さった。
 この世に生きる、どのような物にも不快に響くであろう叫びが響く。その残響の中に音もなく着地し、群がる魔物を再び矢をつがえた弓を振り回して追い払いつつ距離を取るため駆ける。
「補給から断ちなさいっつってんのよ! 頼んだわよ!」
 アルケミストから注意を引き離す為だろう。獣王を中心に大きく円を描くように動きつつ、駆けるその背後を、復讐に燃える拳が執拗に追い掛ける。レンジャーも応じて、脚の一歩ごとに放ち続ける。しかしその悉くは事も無げに振り落とされ、あるいは礫のように弾かれる。
 牽制にもならない。噛み締めるように思いながら爪先で急ブレーキをかけ、強烈な一撃を放つべく引き絞る。その目が、狙いを定めるべく鷹のように獣王を睨み付ける。すると獣王の双眸と触れあう――その瞳の色。
 憎悪、憤怒、殺意すら超えて、こちらの存在そのものを全否定するような圧倒的な敵意。
 その逆巻く風に捉えられたレンジャーは、突然、糸の切れた操り人形のように膝を付き、そして崩れ落ちた。
 その無防備な姿に草団子が群がり始め、押しつぶそうと云うのか、一斉にのし掛かり始めた。一番近くにいたのはバードの少女だ。駆け寄り、わあわあと泣き声のような声をあげながら大弓を振り回し魔物を追い払おうとする。
 そこに、慈悲の欠片も感じさせない獣王の拳が鉄槌のように叩き降ろされる――その寸前にパラディンが猛烈なタックルをその腕にぶちかました。それによりそれた槌は横たわるレンジャーの僅かに外れ深い窪みを穿った。しかし倒れ伏したレンジャーは起きあがらず、群がる魔物はバード一人の手では取り除きようがない。
 その名前を呼ぶために開かれたパラディンの口からは、しかし重いうめき声が漏れた。叩き下ろされた物とは違う腕に視界外から背中を強打されたのだ。呼吸が止まる。激痛と、口の奥から浮かび上がってくる鉄錆の味と吐き気とに顔を歪めながら獣王と向き合う。
 どうする?
 その攻撃を受け止められる者は自分しか居ない。しかし群れる魔物はバード一人の手には余る。こうして向き合っていてはレンジャーを助けることが出来ない。
 そしてソードマンとは距離が離れている。しかも彼はアルケミストを守りつつ戦っているのだ。来て貰えば逆に彼女が無防備になる。どうすれば――その思考が行き止まりに行き着く前に、ヒステリックな喚き声が響き、次いで視界の端を何かが掠めた。
 バードの持っていた大弓だった。緩やかな放物線を描き獣王の鼻面にぶつかる。パラディンが何事かと振り返る必要もなく、その眼前にバードが躍り出す。石山に棲む小猿を思わせるような身のこなしで獣王の膝を蹴り、胸ぐらをよじ登り、たてがみにしがみつき、あれよと云うまに顔面に身体全体で覆い被さるようにして掴みかかり、体を反らせて深呼吸をし――


「ぅわ――――――――ぁあ――――!!」


 ――その小さな身体全部を楽器にしたかのような大音声を張り上げた。
 空気の振動が感じられるほどの大声に、レンジャーに積み上がった魔物の山が少し崩れた。その音源間近にいた獣王にも余程堪えたのか、眼前に張り付くそれを剥がそうともがきバランスを崩し、盛大な地響きをたてて尻餅を付いた。
 咄嗟に、パラディンだけが迅速に動けた。翻りざまにレンジャーに積み重なる魔物を一閃、二閃で払いのけ、身軽に着地したバードの名を呼び腰に結わえていた薬品を放る。駆け寄り様にキャッチしたバードはそのままレンジャーの元へ走り、俯せに倒れているその身体を抱き寄せて、薬品の蓋を口で開けて一気に呷り、それを再び一息で口移しにする。
 獣王の怒りに狂った叫び声の後、負けじとアルケミストが「がぁーおー!」と叫んで大笑い。笑気を残した声で云う。
「じゃあそろそろ行くよ!」
 腰を大きくひねり、右拳を背中にまで回して強く握る。するとその時点で既に爆発が起こる。
「大ー掃ー除ーっ!」
 火の粉を散らしながら右から左へ振り回す拳のやや遠方に、後を追うように次々と爆炎が巻き起こりさながら貪欲な火竜のように魔物を呑み込んで行く。更に、炎熱を厭わず飛び込んだソードマンが爆風に吹き飛ばされ無防備な姿を晒す草団子を次から次に切り捨てる。
 そして爆炎の到達点は獣王だった。一際大きな爆炎が地面、壁と云わず焦がす。その直中、爆風に押され立ちつくす獣王に、真正面、大上段から振り下ろしたソードマンの剣が深々と傷を付ける。
 踏み込み、更なる一撃、二撃。しかし、傷を負わせても獣王には怯みの色さえ見えず、その苛烈な敵愾心に翳りはない。傷をおびた腕に滴る血を雨のように迸らせながら高く振り上げ、三撃目を繰り出そうと構えたその剣ごとソードマンを叩きのめす。
 まともに浴びたその打撃に、一瞬、気が遠くなり全身の力が抜け落ちる。急激に白く塗りつぶされて行く感覚に、手から剣が放れた感触だけがはっきりと映る。そして次の瞬間、横殴りに襲ってきた激痛に、吹き飛ばされた無重力感の中で目を覚ます。迷宮の壁に激突するが、その痛みよりも剣を手放した焦燥感が彼を苛む。素早く走らせた視界に獣王の腕に深々と刺さったままの剣が映り、そして――ハヤブサを思わせる閃きとともに、獣王の顔面に何かが突き刺さった。
 顔を覆い仰け反り叫ぶ獣王に、いずれにせよ剣を失ったソードマンに出来ることは少ない。そうして立ちつくすその正面を、極めて、ものすごく、この上なく不愉快な表情に、怪力無双の職人が最も不機嫌な形にみえるよう丹誠を込めてねじ曲げたかのようなへの字の唇を張り付けたレンジャーが弓を引き絞りながら駆け抜け、瞳を狙い執拗なまでに何本も矢を放つ。
 その矢を払いのけざま、視界を奪われたせいか闇雲に振り回された腕の、その軌道に先回りしたパラディンがそれを受け止める。そして待ちかまえていたようにバードが動きの止まったその腕に抱きつくようにしてしがみつき、大根か何かのように突き立った剣を引っこ抜く。が、勢いを余らせてすっぽ抜けて飛んだそれをソードマンが跳躍して受け止め、走り抜け様に獣王の腱を深く抉りとる。
 もはや、それが断末魔の叫びであったろう。残された膝だけでは支えきれず、崩れ落ちる。その影が落ちる先にはアルケミストの突き出す篭手があった。


 その僅かな後。
 地上の敏感な鳥類が雲霞の如く飛び立ち、エトリアの人々に何かを予感させた。


 巨体の大半を黒く焦がした獣王が、爆発に押され幾秒かの合間立ちすくみ、そしてただの物体と化して再び崩れ落ちようとしている。
 その先には、やはり自らの起こした爆風に押されて尻餅を付いているアルケミストがいる。そして命を持っていた時とは別の威圧感をもったそれがゆっくりと自分に向かって来ているのに気が付き。
「あ。うわ。やば」
 と腰を浮かしかけたときにはもう遅い。速度を増して落下してくるそれに押しつぶされ――そうになったところを、飛びだして来たレンジャーに抱きかかえられるように体当たりをされ危うく逃れる。
 先程の爆発に比べると、余りにもささやかな地響きがおきた。
 土煙の僅かに上がるなか、何故か背中にまで回されているアルケミストの手を払いのけて起きあがり「おつかれさん」と同じ調子の、安否を気遣う気配のまったくなさそうな声音で尋ねる。
「……大丈夫?」
「あー。前髪がちょっと焦げたかな」
 レンジャーは返事をせずに、そのおでこをぺしんと叩いた。