今月中は、

 あちらの更新が不可能な状態になっちゃうのが確定したっぽいのでこちらに雑記をしたためる事とする(原因はプロバイダ料金の未納だ)。これを機にまるごとこちらへ移動しても問題はない気もするけれど……。にしても、ローカルで書いてても問題はないのに、発信(をしているという実感。錯覚?)が少なくなっちゃうと不安で不満に思ってしまうのは何の病気なのだろうか。

おジジ様おババ様の工房へ礼服を借りに行く。

 久方にお邪魔する。6畳の部屋が一階と二階だけと云うこの居住スペースに家族8人が寝泊まりしていた事に戦慄を覚えたりは今更なので別にしない。二階のタンスにあるだろうから適当に探しゃれとの仰せなので適当に探しゃろうとお邪魔すれば、昔の家族8人のそれとは懸け離れた、畳と藺草の香り漂う閑かな空間がそこにあった。職人のお家然としている。
 真面目で几帳面な御爺様と、礼儀と礼節との権化である御婆様の空間。近頃ドンはまりしている向田邦子先生の語られる、懐古の中にだけ存在してそうな慎ましやかな夫婦の理想的な有り様がこんなにも身近にあったのかと、なんとなく、深呼吸。
 後、世間話用のお茶を淹れる際、ヤカンが仕事場にあるとの事なのでそちらにお邪魔するとこれまた少しばかり圧倒されて立ち竦んだりした。
 今はプゲが働いているそこだけれど、どでかく重厚、木と鉄からなる巨大な織機。橙色の裸電球に照らされたその部屋に立ち篭める神前にも似た厳かなこの雰囲気はどうだ! とかすっかり畏まったりしたのだけど、中学自分、前面床張りに日の差さないこの涼しげな空間に入り浸って好き勝手に本読んでたりだの昼寝したりだのの罰当たりな諸行為を思い出して「若さ」と云う言葉を知る。ああ、昔日のこととは云えなんと畏れ多い。

明後日、結婚披露宴に参席する。

 マナーとか色々読みつつ既に胃痛。小心者。

大宮ソフトさんは空気が読めないらしい。

 大宮ソフトさんと云えば「むちゃくちゃおもしれェのにマニアックすぎて対戦相手いねー!」な諸対戦ゲームのもはや代名詞にして雄であるところのカルドセプトを作った方々だ。
 空気が読めないってーのは、念願のネット対応最新作が PS2 じゃなくてドリキャスでリリースしちゃって憫笑と失意とを浴びた過去があるそうだけれども今度は xbox でリリースとのこと。ぁー。まー。xbox live のそれは素晴らしく優れた環境であるらしいのは漏れ聞こえているし、PS3 は何か都市伝説然とした虚構の存在であるし。或いは妥当な判断なのやもしらん買った人間が一万人しかいなくてもそれでネット接続率が 100% 近く行けば無問題だよねとでも云うか。
 と云うのはともかくとしても。
 つい一週間前に旧作を購入した人間が取り敢えずストーリーモード一周して、さて。カード集めてみようか。て腰を据えたその日に新作発表する神懸かった空気の読め無さ。

 一周した感想としては。カルドセプトは確かに面白いんだけど、もしかすると RPG として CPU 戦で済ましておいた方がもしかすると幸せかもなあと思わないでもない。
 研究が進み。定石が既に発見され尽くされてて、「勝つ為にカードを選ぶ」て事は「定石への対処を選ぶ」て事と同義になっちゃってる。結局のところ、選んだカードの優劣は、選んだ定石への対策が各々に組み込まれているかであり、タイミング良くカードを引けるか否かの、つまりジャンケン同然の運が左右される勝負になりさがっている。
 運が重要なのはボードゲームだから当然だし、対戦ゲームの殆どに云える事だべ? みたく反論もありましょうけれど、それを明確に意識してしまうか巧妙にカモフラージュされてるかで大きな違いがあるんだわね。特に、このカルドセプトというゲームは「自分独自のカード選び」という「勝つ為の工夫」が強く求められるゲームなだけに「結局は運じゃん」て一言はゲームに参加する意欲を根刮ぎ奪っちゃうわけでー。

 だのと延々一般論を述べちゃったけど。
 カルドセプトはそれとはまた別の楽しさがあるんだろうなあ。定石が出揃い知り尽くされた上で、ドローのタイミングに左右される状況の中で臨機応変に最善手を模索。そこにこそ儂らの求める不確定要素は存在しており、その積み重ねの上に勝敗が成り立つ。と。
 まあ良いゲームだとは思うわ。
 時間的都合と金銭的都合とでわざわざ xbox 買うてまで遊ぶかどうかはわかんないけども。